戦時中のピアノ教室・・・

2003.4.16

昨日は、またまた大人の生徒さん達の集まりをしました。

ステップをひと月半後に控え、
ステップ参加の方はその参加曲を、
されない方は今やっている曲を2曲ずつ披露していただきました。

メンバーは全員女性・・・
で、もちろんお話にも花が咲いたのですが・・・

その中でも、ここにもよく登場する
大正生まれのSさんの話しはとても興味深いものでした。

Sさんは、終戦の時までピアノを習っておられ
その後広島に嫁ぐことになり、辞められたのだそうです。

終戦までって、戦争中にも習っておられたんですか?と聞くと・・・
そう・・・戦争中にもずっとレッスンに通っておられたそうです。

先生は、ご夫婦でピアノ教室をされているかたで
(お2人とも国立音大出身とか・・・)
教室には3台もピアノがあったそうです。
子供さんもたくさんおられたとか・・・

私が両親から聞く戦時中の話というのは
とにかく食べるのに、生きるのに必死だった・・・
と言うことばかりですが・・・
(これはほとんどの人がそうだっただろうけど・・・)

その中で、ピアノだけで生計を立てておられた方が
いらっしゃったというのは驚きです。
空襲にあまり見舞われなかった京都だから可能だったのでしょうか・・・

やはり外国の曲を演奏するのは禁止され、
教則本の外は「愛国歌集」のようなものを
弾いていた・・・と言うことでした。

どんな教室で、みんなどんな格好をして通ってたのかなあ・・・
その当時のレッスンって、どんなんだったんだろ・・・

興味津々です。

「戦場のピアニスト」じゃなくって「戦時中のピアノ教室」・・・

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