バリ島
2005.10.5
初めて訪れたのは、
もう20年以上も前・・・大学3年の時でした。
雑誌で見た「地上の楽園」という文字に惹かれ
「何としても行きたい・・・」と思い始めたのです。
バイトしてこつこつお金を貯め、
雑誌の隅っこに載っていた小さな旅行者の安いツアーで
友人3人と共に、バリ行きが実現したのです。
勇んで羽田空港(その頃はまだ成田がなかった・・・)
に着くと、なんと旅行者の人が神妙な顔つきで・・・
「実は・・・このツアー、帰りの航空券が手配できなかったんです。
帰りが数日伸びるかもしれませんが、それでよろしければ・・・」との説明・・・
他の会社員と思われるツアー参加者は
「そんなバカな!」と言って、その場でキャンセルして
帰ってしまいました。
我々は逆に大喜び!
「わ~!長く滞在できるんだ!万歳!」
空港から「帰りがいつになるかわからんのんだって!」
と家に電話をして記憶があります。
(家族は心配だっただろうな~・・・)
そんな最初からアクシデントで始まった旅でした。
結局向こうでの滞在は3日伸び、ホテルも転々とし
1週間のビザしかとって行かなかったので
大使館まで出向いてビザの延期申請をし・・・
(短パンしか持って行ってなかった我々は、
向こうの駐在のツアコンのお兄さんのだぼだぼズボンを
借りて大使館に行ったっけな~・・・)
向こうでもアクシデント続きの珍道中でした。
ただ、クタビーチからの美しい夕日、
絢爛豪華なガムラン舞踏や迫力のケチャックダンス・・・
不思議なバリの魅力にすっかり取り込まれて帰ってきました。
結婚してからも、バリには3度訪れています。
何をするでもなく、
ジンバラン地区にあるホテルで
プールサイドからインド洋を眺めながら
ぼーーっと1日の大半を過ごし、
夕方になるとごそごそ身支度してクタの町に繰り出し
夕食を取って散策・・・
そんなのんびりとしたバリへの旅が
私は大好きでした。
それが・・・
2度目となる今回の爆破事件・・・
夫が
「しばらくバリへは行けんな~」とぽつり・・・
う~ん、そうなんだけど・・・
とても残念です。
観光で成り立っているあの島・・・
観光客の激減で、たくさんの人々の生活が脅かされることでしょう。
信仰心にあつく、いつも顔の前で両手を合わせ
「テレマカシー」と挨拶をするバリの人々の笑顔が
浮かんできます。
テロ、戦争・・・
こんな言葉が過去のものになる日はいつなのでしょうか・・・
-
2024年11月 日 月 火 水 木 金 土 « 6月 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 ケータイでもご覧頂けます。
QR対応の方は
↓のコードをピッとして下さい☆
QR対応以外の方は、
http://www.sawada.tv/piano/
にアクセス!
Comments are closed.