ウィーン その2
2015.4.17
今回の旅でもう1つ、どうしても行きたかったところ・・・
ウィーン郊外のハイリゲンシュタットです。
ベートーヴェンが32歳のときに遺書を書いた場所で、
「ハイリゲンシュタットの遺書」として有名なところです。
29歳の時から耳の不調が始まり遺書を書いた32歳までの間、
彼は苦しみの中たくさんのピアノソナタを書いています。
8番の悲愴に始まり、14番月光、15番田園、17番テンペスト・・・
8番から18番までのピアノソナタはすべてこの時期書かれたもので、
このあたりの曲は、中高生が必ずと言っていいほどコンクールやコンサートなどで演奏します。
その時に必ずこの「ハイリゲンシュタットの遺書」の話をします。
このことを知らずして、このあたりの曲は弾けないと思うので・・・
話しながら、「どんなところなのかなー」とずーっと思っていたのです。
・
ハイリゲンシュタットへは、地下鉄に乗っていきました。この電車の終点です。
それからバスに乗り換え、まずはベートーヴェンが遺書を書いた
「ハイリゲンシュタット 遺書の家」に向かいました。
バスを降りて住宅街を歩いていくと、ここですよ!と言う旗の目印がありました。
私たちが行くとだーれもいなくて、どこかの部屋からスタッフの方が慌てて降りてこられました。
ここが入り口です。
2部屋だけの小さな場所です。
右側にあるのが遺書。
デスマスクや遺髪もありましたが・・・
写真はやめておきますね。(笑)
遺書の家の裏庭に、可愛い猫ちゃんがいました。(小屋も可愛い!)
そのあと、彼がよく散歩したと言う「ベートーヴェンの散歩道」にも行きました。
彼はここで交響曲「田園」の構想を練ったと言われています。
鳥のさえずりが聴こえます。。。
このあたりは今はすごい高級住宅街です。
ベートーヴェンがいた頃は、もっと静かな田舎の風景が広がっていたようですが・・・
それからまた20分ほどバスに乗り、カーレンベルクの丘まで行きました。
目の前に広大なブドウ畑、遠くにはドナウ川やウィーン市街も広がります。
ここからの景色も素晴らしかった!
景色を眺めながらお茶するところもあり、のーんびりできるとてもいいところです!
この丘には昔、お城もあり、丘の上まで電車も走っていたとか・・・
当時の電車も展示してありました。
その話をしてくれた、おじさん。(どなたかはわかりません・・・笑)
・
それからまた電車に乗ってウィーン市街に戻り・・・・
夜はフォルクスオーパーにオペレッタを観に行きました。
実は今回、ほぼ行き当たりばったりの旅で、
オペラも見たいなーと思いながら、チケットも予約せずに来て・・・
ウィーンに着いてから「何かないかな~」とネットで探したら・・・
何故か最終日の夜のチケット、それもほぼ完売の状態なのに
ボックス席の前列が二つだけ空いていた・・・なんで???
スポンサー用とかに確保していたものが不要になったのかな?
よくわかりませんが、とにかくラッキーとしか思えません。
(演目は、オッフェンバックの「パリの生活」)
フォルクスオーパーは、国立オペラ座よりはカジュアルなホールですが
それでも平土間やボックス席のお客さんは、ドレスアップされた方も多く
ムム、違うな、この人達・・・ってな感じです。
初めてのボックス席・・・
クロークにコートを預けに行ったら預かってくれなかった・・・
ボックス席にはちゃんとコート掛けがありました。知らんもん~~!(笑)
ちょっと緊張の私・・・
ここのオペラ、舞台装置もすごく、楽しめました!
そんなウィーンでの3日間でした。
楽しく、充実の旅でした。
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あ、おまけ・・・
ウィーンでは、わんちゃんは口輪とリードをしていたら
地下鉄もバスもトラムも乗車OKなんです。
いいね~・・・
あともう1つ、ウィーンのショッピング街のあちらこちらで
大きな佐渡裕さんの写真が!!
2015年9月からウィーン・トーンキュンストラー管弦楽団の
音楽監督に就任されることになったそうです!すばらし~~い!
まだまだ写真は山ほどありますが、
きりがないのでこの辺にしておきますね。
旅行記にお付き合い頂き、ありがとうございました~!
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