PTNAピアノステップに期待すること・・・

 実はずいぶん前から、ヤマハ、カワイというような、メーカーのグレード試験でなく、もっとそれを飛び越えた、国の検定試験に近いかたちの大きな組織でのピアノのグレード制度があればいいのに・・・と思っていました。
 メーカーのグレードが悪いと言うのではないのですが、やはり先生が変わって、次の先生が違う所属の先生だったら意味が無くなってしまうグレード制度は、受ける人たちにとってはあまり魅力のあるものとはいえないですよね。この「ピアノステップ」は、そういう意味では私が思っていたものに近いものでした。

 「発表会のような雰囲気の中で行われる」「合格の基準が甘い」「飛び級もできればランクを下げての受験も可能」などなど、お堅い先生方なら「え〜?」と思われるようなところもあるかもしれませんが・・・いいんです、いいんです・・・マラソン大会に時間を争うシリアス大会もあれば、ホノルルマラソンみたいに10時間近くもかけてのんびりと「完歩」できる大会もある・・・それでいいと思うんです。「底辺の拡大」と言う意味では、こちらの方が重要かもしれません。

 ピアノと言う楽器は言うまでもなく、西洋から入ってきた楽器です。鎖国が解け、日本にピアノが入ってきてピアノ教育と言うものがスタートしてからまだ100年ちょっと・・・まだまだ歴史は浅い、と言っていいと思います。

 さて、そのピアノ教育の中で一番に急がなければならないことは、1人でも多くの演奏者、指導者を育てることだったと思います。西洋音楽の下地など全くない日本で、明治政府が音楽学校を建て、その頃に「バイエル」「チェルニー」といった初歩のピアノ教育のマニュアル作りがされていったようです。

 勤勉な日本人のこと、この100年間のピアノのレベルの向上には目を見張るものがあり、世界的に名の通る指導者、ピアニスト達もたくさん生まれてきました。ただ残念なことに、ピアノと言う楽器が人々の暮らしに深く浸透してきたかと言うと・・・うーん・・・

 ずいぶん前からピアノが女の子のおけいこ事のトップに君臨はしているものの、実際に「ピアノが弾ける」と言う人の数は何故か本当に少ないのです。 これは、その明治時代に作られたマニュアルが、ピアノ教育そのものになってしまい、ピアノ指導者を育てることにはある程度成功してきたものの、「ピアノを長く楽しむ」というための教育とはかけ離れてしまい、専門の道を選ばないほとんどの人達は、中学生くらいでピアノを辞め、その後ピアノを弾くこともなく過ごす・・・という事が一般的になってきたのではないかと思うんです。

 実際うちの教室に来られる生徒さんのお母さま方も、「私もピアノ習っていたんですが・・・」とおっしゃる方は非常に多いのですが、実際に今でも時々弾く、と言う方はごく少数なのです。 このままでは結局はピアノなんて、人々にとって何の魅力もないものになってしまうんじゃないかしら・・・そんな風な危機感を感じていました。

 これからは指導者が自分の受けてきた教育にとらわれず、ピアノを習うすべての人が、自分のペースで楽しく、ずっとピアノを弾き続けていきたい・・・と思えるような指導を第一に考えていかなければならないと思うのです。 このPTNAのピアノステップは、その中の目標作りのために、とても役に立つものと信じています。

 以前この「ひとり言」のコーナーでも書いたように、東京のステップでは90歳でピアノを始められたという93歳の方がステップのステージに立たれたという事です。
 どんどんとこのピアノステップの輪が広がって、親の転勤や就職や結婚で住む場所が変わっても、また何年のブランクがあっても、またいくつになっても、自分なりの目標を持って、ピアノを続けていくことができる・・・1日も早くこういう環境になることを、願っています。